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北条氏


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▲三つ鱗

小学校の
日本史で「北条氏」という言葉を耳にすることが2回あると思います。

・鎌倉幕府の執権政治を治めた「北条氏」。(1200年代)
・豊臣秀吉の小田原攻めによって攻略された「北条氏」。(1500年代)

よく、後者の北条氏を「後北条(ごほうじょう)」といって識別し、「鎌倉幕府の北条とは関係ないよ!」と教わることも多いかと思います。

ところが、執権北条氏は現在の神奈川県鎌倉市、後北条は神奈川県小田原市、同じ相模の国で家紋に至るまで「三つ鱗」という同じ家紋を使用しています。

これほど似通っていて強いて別の家であることが逆に不自然であるとともに、その背景まで学校の歴史で習うことは稀です。

最近、北条ゆかりの場所に赴くことが多かったので今回は「北条氏」について記述します^^




鎌倉北条氏と後北条

先に結論をいってしまうとこういうことです^^;

北条系図

平貞盛は西暦900年代、伊勢盛時は西暦1400年代の人物なので、かなり詰めて記した系図になりましたが、北条・後北条の血縁関係はこの様な感じです^^;

ただし、北条・後北条ともに平氏との結びつきは近年徐々に明確になってってきたところで、まだまだわかっていない部分は多々あります。

「もとをただせば血筋は同じ、ただし後北条は鎌倉北条家に続く家系でない」というのが血縁的視点から見た実態です。

後北条の「北条」を名乗る前の姓は「伊勢」氏。平氏の血統である上に室町幕府に従事していたことから相当の名門であったものの、関東攻略の際、「北条」のネームバリューの傘を借りるのが都合がよかったため、強いて「北条」に改称した、というのが定説だそうです。


ただ問題は、そこまで「北条」に執着したのにも関わらず、なぜ鎌倉北条家にならなかったのか、または後世において鎌倉北条家として扱われなかったのか、と言うことです。
P4012375s
▲小田原城 2012年4月1日撮影

伊勢氏が「北条」に改称したのは伊勢盛時の息子、北条氏綱の代から。伊勢盛時は「北条早雲」の名で有名ですが、存命中に、この名前で呼ばれたことはなかったといわれています。
氏綱が北条を名乗り始めたのが1523年とされており、この年は居城を静岡県の韮山城から神奈川県の小田原城に移した年。
伊勢盛時が死去し氏綱が家督を継いだのはその5年前の1518年。
つまり、いつから「北条改称計画」があったのかは分かりませんが、仮に氏綱発案の戦略だとすると、あまり余裕をもって行われた施策ではないことが分かります。

鎌倉北条氏の子孫はこの当時、南北朝時代の挙兵に対する懲戒で衰退しきっており、「横井氏」を名乗り尾張にいたとされていますが後北条と姻戚関係を構築し北条再興を謳ったなどの記録はなく、後北条側も鎌倉北条家の存在性すら意識せずに勝手に改称したのではないか、という後世の史家の共通認識から「後北条」と呼ばれるようになったものと思われます。

飽く迄自身の見解ですが、氏綱のやり方次第では鎌倉北条家を後世まで名乗れたのではないのかな、もしかすると姻戚戦略もあったけどまだ記録が見つかっていないだけかもしれない...という微妙な期待も^^;


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▲神奈川県鎌倉市 円覚寺舎利殿   2012年4月1日撮影

後北条と鎌倉北条の関係で忘れてはならないのがこちらの建物。
小学校の歴史でも習う円覚寺舎利殿です。

円覚寺は鎌倉北条家で8代執権を務めた北条時宗が、元寇の犠牲者を弔うものとして創建を命じ建立。
舎利殿は1563年に火災で焼失。
1573年に後北条で、北条氏綱の息子にあたる北条氏康が、太平寺の仏殿を移築させたものが現在の建物です。

このほか鶴岡八幡宮に至っても、里見氏の焼き討ちによって焼失した部分を北条氏綱が再建するなど、後北条の鎌倉での貢献ぶりがうかがえます。

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▲神奈川県鎌倉市 鶴岡八幡宮  2012年4月1日撮影



もうひとつの北条家、種子島家

さて、上に記した鎌倉北条家と小田原北条家の図に少し情報を加えてみますw
種子島

平清盛の孫、平信基は北条時政の養子となり北条信時と名を改めます。

何故なのかは調べがつきませんでしたが、信時は鹿児島県の種子島に身を移し、以降代々北条信時家は種子島を領地とします。信時から数えて6代目の時充のときに姓を「種子島」に改め「種子島家」が生まれました。

鉄砲伝来にまつわるエピソードで有名な種子島時尭は同種子島家13代当主です。

種子島家の家紋は北条と同じ「三つ鱗」。平清盛の子孫であることから「平氏直系の名門」というふれこみも聞きます^^

ただし、実際は北条家系の家の家臣が種子島を治めたのが始まりで、信基が種子島を治めたというのは後に付け加えられた系譜だとする説もあり、真相は未だ曖昧です。





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▲鹿児島県西之表市 赤尾木城跡 2012年3月29日撮影
 種子島北部の西之表市内にある城跡。種子島家17代当主忠時が1624年にこの場所に移築し、明治2年の版籍奉還まで種子島家の居城であった。
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▲鹿児島県西之表市 赤尾木城文化伝承館月窓亭 
 2012年3月29日撮影
 種子島家の家老にして「種子島家年中行事」の編纂に従事した羽生道潔の屋敷。創建は1795年。明治19年から平成12年まで、この月窓亭は種子島家の屋敷として用いられた。


















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