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北条氏


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▲三つ鱗

小学校の
日本史で「北条氏」という言葉を耳にすることが2回あると思います。

・鎌倉幕府の執権政治を治めた「北条氏」。(1200年代)
・豊臣秀吉の小田原攻めによって攻略された「北条氏」。(1500年代)

よく、後者の北条氏を「後北条(ごほうじょう)」といって識別し、「鎌倉幕府の北条とは関係ないよ!」と教わることも多いかと思います。

ところが、執権北条氏は現在の神奈川県鎌倉市、後北条は神奈川県小田原市、同じ相模の国で家紋に至るまで「三つ鱗」という同じ家紋を使用しています。

これほど似通っていて強いて別の家であることが逆に不自然であるとともに、その背景まで学校の歴史で習うことは稀です。

最近、北条ゆかりの場所に赴くことが多かったので今回は「北条氏」について記述します^^




鎌倉北条氏と後北条

先に結論をいってしまうとこういうことです^^;

北条系図

平貞盛は西暦900年代、伊勢盛時は西暦1400年代の人物なので、かなり詰めて記した系図になりましたが、北条・後北条の血縁関係はこの様な感じです^^;

ただし、北条・後北条ともに平氏との結びつきは近年徐々に明確になってってきたところで、まだまだわかっていない部分は多々あります。

「もとをただせば血筋は同じ、ただし後北条は鎌倉北条家に続く家系でない」というのが血縁的視点から見た実態です。

後北条の「北条」を名乗る前の姓は「伊勢」氏。平氏の血統である上に室町幕府に従事していたことから相当の名門であったものの、関東攻略の際、「北条」のネームバリューの傘を借りるのが都合がよかったため、強いて「北条」に改称した、というのが定説だそうです。


ただ問題は、そこまで「北条」に執着したのにも関わらず、なぜ鎌倉北条家にならなかったのか、または後世において鎌倉北条家として扱われなかったのか、と言うことです。
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▲小田原城 2012年4月1日撮影

伊勢氏が「北条」に改称したのは伊勢盛時の息子、北条氏綱の代から。伊勢盛時は「北条早雲」の名で有名ですが、存命中に、この名前で呼ばれたことはなかったといわれています。
氏綱が北条を名乗り始めたのが1523年とされており、この年は居城を静岡県の韮山城から神奈川県の小田原城に移した年。
伊勢盛時が死去し氏綱が家督を継いだのはその5年前の1518年。
つまり、いつから「北条改称計画」があったのかは分かりませんが、仮に氏綱発案の戦略だとすると、あまり余裕をもって行われた施策ではないことが分かります。

鎌倉北条氏の子孫はこの当時、南北朝時代の挙兵に対する懲戒で衰退しきっており、「横井氏」を名乗り尾張にいたとされていますが後北条と姻戚関係を構築し北条再興を謳ったなどの記録はなく、後北条側も鎌倉北条家の存在性すら意識せずに勝手に改称したのではないか、という後世の史家の共通認識から「後北条」と呼ばれるようになったものと思われます。

飽く迄自身の見解ですが、氏綱のやり方次第では鎌倉北条家を後世まで名乗れたのではないのかな、もしかすると姻戚戦略もあったけどまだ記録が見つかっていないだけかもしれない...という微妙な期待も^^;


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▲神奈川県鎌倉市 円覚寺舎利殿   2012年4月1日撮影

後北条と鎌倉北条の関係で忘れてはならないのがこちらの建物。
小学校の歴史でも習う円覚寺舎利殿です。

円覚寺は鎌倉北条家で8代執権を務めた北条時宗が、元寇の犠牲者を弔うものとして創建を命じ建立。
舎利殿は1563年に火災で焼失。
1573年に後北条で、北条氏綱の息子にあたる北条氏康が、太平寺の仏殿を移築させたものが現在の建物です。

このほか鶴岡八幡宮に至っても、里見氏の焼き討ちによって焼失した部分を北条氏綱が再建するなど、後北条の鎌倉での貢献ぶりがうかがえます。

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▲神奈川県鎌倉市 鶴岡八幡宮  2012年4月1日撮影



もうひとつの北条家、種子島家

さて、上に記した鎌倉北条家と小田原北条家の図に少し情報を加えてみますw
種子島

平清盛の孫、平信基は北条時政の養子となり北条信時と名を改めます。

何故なのかは調べがつきませんでしたが、信時は鹿児島県の種子島に身を移し、以降代々北条信時家は種子島を領地とします。信時から数えて6代目の時充のときに姓を「種子島」に改め「種子島家」が生まれました。

鉄砲伝来にまつわるエピソードで有名な種子島時尭は同種子島家13代当主です。

種子島家の家紋は北条と同じ「三つ鱗」。平清盛の子孫であることから「平氏直系の名門」というふれこみも聞きます^^

ただし、実際は北条家系の家の家臣が種子島を治めたのが始まりで、信基が種子島を治めたというのは後に付け加えられた系譜だとする説もあり、真相は未だ曖昧です。





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▲鹿児島県西之表市 赤尾木城跡 2012年3月29日撮影
 種子島北部の西之表市内にある城跡。種子島家17代当主忠時が1624年にこの場所に移築し、明治2年の版籍奉還まで種子島家の居城であった。
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▲鹿児島県西之表市 赤尾木城文化伝承館月窓亭 
 2012年3月29日撮影
 種子島家の家老にして「種子島家年中行事」の編纂に従事した羽生道潔の屋敷。創建は1795年。明治19年から平成12年まで、この月窓亭は種子島家の屋敷として用いられた。


















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総力特集! 国宝松本城

長野県中央部に位置する松本市。
松本市を代表する観光地、別名「烏城(うじょう)」の名をもつ漆黒の城郭、松本城。
姫路城、犬山城、熊本城、彦根城とともに国宝に指定されている城です。
このたびはその松本城の総力特集です!

※松本城の写真は全て2009年10月に本人が撮影。演台の写真のみ外部サイトより転載。


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  ▲ライトアップされた松本城。                     ▲大天守入口付近より見上げる。

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  ▲光のあたり方によって、瓦屋根との相対で青色に映える。

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   ▲松本城は外から見ると5階層に見えますが、実際は6階層構造。外から見て3階部にあたる部分が二層構造になっています。城の内部に敵兵が侵略した場合、敵兵に対処するために兵士を隠しておく「武者隠し」として作られたのではないかといわれています。



松本城の特徴として何といっても欠かせないのが「家紋」。侵略という形態でなく城主が何度も変わっているため、使用されている瓦の家紋は様々に点在しています。写真で調べられる範囲で調べてみました。
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ここで1代・2代城主の石川家の家紋に注目してみます。下写真は本丸正門に装飾された石川家の家紋。
この家紋、どこかでよく見る家紋です…
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そう、日本政府の紋章としてよく用いられるこの家紋(五七の桐)、元はと言えば天皇家の家紋です。ではなぜ松本城にあるのでしょうか。
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初代城主、石川数正は豊臣秀吉の家臣。秀吉は関白の座に着いたことから後陽成天皇にこの紋を与えられていました。秀吉は自身の重臣にも積極的にこの紋を与えたために松本城にもこうした形で残っているのだとされています。

ちなみに秀吉は自身の築造した城にも積極的にこの「五七の桐」を用いたため、姫路城にもこの紋は残っています。


余談ですが、日本政府の紋章として「五七の桐」は古くから使われています。ですが、上右写真のように政府の演台にこの紋が埋め込まれたのは、実は2003年から。小泉元首相の提案だと言われています。



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  ▲上から石を落とすのみでなく、矢を射ったり熱湯をながしたりして敵の侵入を防ぐ「石落」。松本城の石落は城の角に配置されていることで、城全体を視覚的に大きく見せる効果があるといいます。右写真は内部から見た石落。


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 ▲松本城の階段は最大傾斜角60°以上。               ▲天守最上階からの眺め

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 ▲3代将軍徳川家光が訪問する予定にに合わせて増築された月見楼。城の本丸にこうした観賞施設が作られるのは極めて珍しい。しかし結局、家光は訪問しませんでした。右写真のように、手すりの全体に漆が塗布されています。今でもメンテナンスが大変なのだそうです。


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 太鼓門横に配置されている巨石「玄蕃石」
 この岩の重量は約26トンあるとされ、玄蕃頭を務めていた石川康長が、運搬に際し不平を言った労働者のその場で斬ってしまったという逸話からこの名前がつけられています。






箱館五稜郭祭

北海道函館市で毎年5月中旬に開催される一大イベント、「箱館五稜郭祭」。
幕末、箱館で繰り広げられた戊辰戦争の最後の戦い、「箱館戦争」にちなんで昭和45年から開催されています。
第42回となる今年の五稜郭祭は今週末の5月21日(土)、5月22日(日)に開催です。

写真は昨年の第41回箱館五稜郭祭で撮影したもの。
※スライドショー下は写真の解説です。
※スライドショーの上にカーソルを合わせ、NEXTをクリックすると次の写真に移動できます。




スライドショー写真解説

※解説写真をクリックすると、スライドショーより大きな画像が見られます。

110516_012554.jpg  陸上自衛隊北部方面音楽隊も参加。







110516_011129.jpg   維新行列パレードでは、函館市長も幕末の姿に仮装。
     開陽丸にのってやってきます。






110516_011119.jpg   箱館戦争の戦闘演技。出演者は役者さながらの演技で、迫力に圧倒されます。







110516_012717.jpg   五稜郭の堀にかかる橋にて撮影。
  こうして見ると幕末にタイムスリップしたかの様です。






110516_012726.jpg   昨年の箱館五稜郭祭は4年ぶりに桜の開花時期と一致したそうです。







110516_012634.jpg   本物の桜の中で陸上自衛隊北部方面音楽隊が森山直太朗の「さくら」を演奏。







110516_012647.jpg   箱館戦争の始終を一通り再現するこのお祭り、最後は史実どおり榎本武揚が黒田清隆に「万国海律全書」を
  プレゼントして終わります。ただ、実際は手渡ししたわけではありませんが、きちんと「史実では手渡ししておらず、
  ここでは分かりやすくするため榎本武揚が黒田清隆に手渡ししています」という司会者の解説が入るのも
  このお祭りの良いところ。




110516_012628.jpg   榎本武揚と黒田清隆の握手。箱館戦争の終結です。
  因みに、この後榎本と黒田は大変に親睦を深めます。黒田清隆は、新政府によって監獄に入れられた
  榎本武揚の助命嘆願のために坊主頭にしたとも言われています。また、榎本の長男と黒田の長女が結婚
  している上、黒田が亡くなったとき、榎本はその葬儀で葬儀委員長を務めました。




110516_011135.jpg   榎本軍降伏の祝砲。
  この大砲はもちろん空砲ですが、非常に音が大きく6km離れた場所でも聞こえます。
  お祭りもこの大砲で閉幕。





110516_011141.jpg   見る観光客も多ければ出演する市民も多いのが函館のお祭りの特徴です。







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高山不動尊

埼玉県飯能市の高山に立つ不動尊、「高山不動尊」。
大学の部活でこちらまで足を運びました。写真は4月29日に撮影。110505_225337.jpg
こちらの不動尊の歴史は約1300年前までさかのぼります。
中臣鎌足と中大兄皇子が蘇我入鹿を倒したことで有名な「乙巳の変」(大化の改新)。
これにより関東へ落ち延びた蘇我氏の末統が中央政権に反旗を翻すべく画策をしていたとして、視察が関東へ派遣されます。
視察に向かった鎌足の第二子である長覚坊上人が、高山に登った際にその眺望に感激して不動尊建立を鎌足に願い出たのが始まりとされているのです。(現在の不動堂は幕末に再建されたもの。)


下左写真は鎌足の息子、長覚坊上人も登ったとされる高山の山頂「関八州見晴台」。
天気の良い日には新宿のビル群や富士山も見渡せます。
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                                             ▲高山からの眺望

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「なぜ何かが存在するのであって、何も無いのではないのか。」

長~いので、もし真剣に読んで下さる方がおりましたら時間のあるとき読んで、いっぱい考えていただければ幸いですw

「哲学」というカテゴリを作ったにもかかわらずこれまで一度も記事を投稿しておりませんでした。
そもそも「哲学」カテゴリを作ったのは、自身が論理的な哲学を好んでいるからには相違ないのですが、「果たして自分の行っている『哲学』は学問的に哲学に分類されるようなものなのか」など、ブログに掲載することに関して様々な不安材料があったためにこれまで躊躇しておりました。が、こうした「哲学的探究行為」はしばらくやらないと著しくその思索能力が減退してしまいそうで重い腰を持ち上げた次第です…


以下の文章は私が高校一年生の時、コンクールに応募するため記述したものです。
結果的には賞を頂きましたが、今あらためて見てみると表現は稚拙だし、内容の論理にも不備は散見されるし、知識量も明確に少ない、という感じがいたします。ただ、意見の大筋は現在もあまり変わらず(進展が無いというのが正しいかもしれませんが・・・)、ときどき自身でこの文章に立ちかえることすらあります。

ですが、3年前に書いたものなので、自身の公式見解ではありません。
論理的欠陥の指摘など、コメントはどんどんお寄せ下さい。こうした思索行為は記述対話によってどんどん深みを増します。

※ここで記す「真理」とは「自然科学的な事実」を指し、「普遍的倫理観」などは含まれません。

次の命題について、あなたの考え方を論理的に展開するエッセイを記述しなさい。
命題: Why is there something, rather than nothing?  (Leibnitz)  
    なぜ何かが存在するのであって、何も無いのではないのか。(ライプニッツ)

私は哲学という学問に興味を持って以来、これまで本を読むなどの様々な形で哲学観を深めてきたつもりだが、その上で一つ思ったことがある。全ての哲学の極論は「何とでも言える」という表現に尽きるのではないかということである。これは決して投げ遣りな姿勢から生まれた「思想」なのではなく、浅くも私の十六年の人生の中で真剣に構築された「哲学」である。ライプニッツの投げ掛けた「なぜ何かが存在するのであって、何も無いのではないのか。」という疑問に対しても、この「何とでも言える」という表現が解答として最も相応しいのではないのかと私は思う。
 まず着目して欲しいのは、このライプニッツの問いかけが言語で形成されていることである。当たり前のことだと思うかもしれないが、私はこの「言語による論理形成」を大変重視している。何故なら言語は論理性に欠如した表現媒体であり、決して「完璧」ではないからである。
 例えば、ある人が目の前にAという物体を確認し、「私の目の前にはAがある。」と発言したとしよう。ここでこの人は、それまでただ漠然と視覚、聴覚、嗅覚等でAを「感じていた」状態から、発話したことによってAの存在を断定したことになる。しかしどうであろう、本当にAはそこに存在しているのだろうか 。視神経や脳が麻痺している可能性や睡郷の内である可能性が完全にないと言い切れるだろうか。当然ながら論理的にはその可能性を捨象することはできない。つまり、この人は発話という言語への体系化によって、視覚等の情報に固執した先入観を生じてしまったのである。この「論理のずれ」はほんの一例に過ぎない。我々が生命を営み何かを体感している全事象に当てはまりうることなのである。そこに見えていたとしても、それが存在しているとは限らない。手で触れて形が確認できたとしても、臭いがあっても、音がしていてもその物体は実存していないかもしれないのである。 そう、つまり我々自身が実存しない可能性もあるのである。次いで、ライプニッツは何かが存在していることを疑問の前提にしているが、今、この状態が「何もない」状態の上に成り立っている可能性すらあるのである。私がこの考えに辿り着いたのは中学二年生の時だが、その時の驚嘆はたいへん大きなものであった。だが一見すると可笑しな話である。我々が個体として実存せず今見えているのがバーチャルの内の世界だとしても、我々の思考存在は実存している。第一、何もない状態であれば思考を行うエネルギーも無い。だが、そう言って片付けられるのは現代物理学の中の狭い見識の内であり、それは本質的な「物理」とは異なる。言ってみればそのような論理こそ一部の情報の固執したコテコテの先入観なのである。再度繰り返して言うが、目の前に見えていたとしてもそれがそこに存在している確率は百パーセントではない。現代物理学は飽く迄物質の存在を「仮定」した上に成り立っている。存在性を大前提としているもので、無存在を説明することは事実上不可能ではないだろうか。実に「何も存在しない」状態を想像することは三次元世界に住む我々が四次元、五次元を想像する以上に難しいことである。それも、現代物理学の感覚が一般的に我々の感覚になっているからである。現代物理学は「仮定」の上に「仮定」を繰り返して成り立っている。これは論理的精度の観点から言うのだが、「まず空間、時間の存在を仮定し、次に物質の存在を仮定する。そして原子核というもの、電子というものの存在を仮定して、その原子核というものの周りを電子というものが飛び回っていると仮定し・・・」といった具合に仮定した世界の上で仮定がなされる。さらにそれは宇宙論や量子論まで「仮定」の連鎖は続く。すると、その膨大な系譜を前にした人々はこう思い始めた。「我々の行ってきた『仮定』は正しかったのではないか」と。当然、端から仮定だなどと夢にも思わず「正しい」と信じ込んでいる人も圧倒的に多いだろう。そして現代社会では明らかにこういう人々が「正常」である。そう、実はこれらが「正常」であることが最も危険なのである。「正しい」と思う、つまりこれは事物を断定してしまうことであり、それが正常化されることは論理性の欠如が正当化されるのと同じことなのである。その理由はこれまで記してきた「見えていても存在するかどうかは分からない」というのと同じで、断定行為はあらゆる可能性を捨象し、その断定の論拠にしているものも仮定または断定の上に成り立っており、完全に論理性が崩壊しているからである。つまり断定を行うことは根本的に論理性を欠いているのである。ライプニッツ自身、微積分学を形成した張本人であるが、微分で求められるのは飽く迄極限値で、彼が微分係数そのものに対してどのような認識でいたか大変気になるところである。
 さて、これまで現代人に生じやすい誤解について数多く記したが、実はこれらの原因となっている諸悪の根源がいる。私が様々に悩んだ末にこの存在を発見できたのはつい最近のことである。そう、それが「言語」なのである。言語とはそもそもコミュニケーションの合理化によって生まれた表現媒体であり、細部の描写を捨象し、類似したものの統一表現として形成される「単語」によって組成されて成立する。そしてこの「細密描写の捨象」が最大の奇問なのである。よく考えて欲しい、私はこれまでさんざん断定することを否定してきた。断定行為が論理性を欠いているとまで言った。しかしどうだろう、そう言っていながら私の書いている一文一文の末尾は「~である」と完全に断定している。そう、私もこうやって「合理化」を選んで論理性を欠いているのである。もし厳密に書くなら「『論理性を欠いているのである』という表現が言語上では適当であろう。」となるのだろうか。私はどうしても末尾がウ段音で終わっていると断定的要素が含まれているような気がしてならないのだが、この「う」は文法上、推量の助動詞なので国語学的にはこれで断定ではなくなったはずである。さて、こんなことをいちいち書いていたらどれほど読みにくい文章になるか容易に想像がつく。これは「言語」が合理性を求めてどれだけ論理性を欠いているかよく表している。ちなみに、この「言語」の断定性質は日本語に限ったことではない。英語や中国語は動詞に含まれる断定性が強いため、日本語よりも事態は深刻である。恐らくは、どのような言語であっても、この断定性質からは抜け出せないであろう。そしてその主因が「細部描写の捨象」にあるのである。むしろこれを行わない言語は、コミュニケーションの手段として全く機能しない。つまり我々は、合理性のために形成されたものをむりやり「論理」という別のことに使おうとしたために、必然的に無理が生じているのである。そして論理における「言語」の汚点をさらにえぐり出すとするならば、言語が「表現媒体」であることが挙げられるだろう。「表現」である以上「実物」でない。つまり完全な「表現」など無いのである。表現媒体である以上、何かしら捨象されそれ故に「実物」と一致した状態を再現できず、やむをえず仮定を行って適切な論理は永遠に行えないのである。念のために釘を刺しておくが、ここで言う「実物」は「現前しているもの」を指すのではなく、我々が感受している「状態」を指している。
 さて、今、ここで展開されている論理は調度、膨張を続けた末期の恒星に例えられるかもしれない。だとしたら、私はこの恒星を超新星爆発させる起爆剤を持っている。ただ、これは最初から提起可能なものであったが、私はあえて後に回した。言語がいかに弱小で、我々がそれに振り回されているのか予め「体感」して欲しかったのである。この起爆剤はその「言語」にとどめを刺すものである。
 それは「存在」や「論理」そのものが言語上の概念でしかないということである。そしてありとあらゆる我々の認知の対象がそうである。少なくとも、ここに記すことのできる対象、発話によって表現できる対象は全て言語上の概念であり、そうでないのは、我々の思考の内、言語を介さないで行える論理のみである。これを説明するのは非常に難しい。何故なら、それらが言語上の概念でしかないのなら言語上の概念を用いずに行えないからである。ただ、よく考えて欲しい。何度も言うが、言語は合理性の追求によって生まれた「表現」であり「実物」ではない。つまり、「存在」という名詞の意味も我々が言語上、「存在」と表現している「感受している事象」であり存在そのものではない。「存在という概念」は「感受している事象」の言語への体系化によってはじめて成立するのである。そして「感受している事象」は「我々が言語上『存在』と表現している『もの』」とは本質的に異なる。それも前に記した体系化による「論理のずれ」によるものである。これが、我々の発している言葉や言語の思考体系の中のものが、言語上の概念にすぎない理由である。
 あいにく私の中で、この超新星爆発は中性子星をつくらず長い間ブラックホールとなっていすわり続けた。いくら考えようとも我々の思考体系は「言語」の内であり、そうである以上、何をどう足掻こうと「どうしようもない」のである。言ってみれば、これは我々人類が今まで構築してきた全ての理論を土壌から根こそぎ薙ぎ倒す様なものである。当然、私がここまで展開してきたものもである。しかし、これは「超新星爆発」の結果としての「特別なブラックホール」であったとしても、「ビッグバン」の結果としての「宇宙」とはなり得ない。言語というもの自体、「宇宙」の中の端くれの「概念」という小さな「恒星」にすぎないのである。さて、私は冒頭で「全ての哲学の極論は『何とでも言える』という表現につきる」と記した。そう、種を明かせば、これは何も哲学に限ったはなしではなく、言語で構築される全ての論理に当てはまるのである。そして哲学においても、その疑問が言語で構築されている以上「何とでも言える」という表現が解答として最も適切である。ただ、これは「我々の言語による思考体系の中のものは言語上の概念にすぎない」ということを抜きにしたとしても、「見えていても存在するかどうか分からない」ということで説明した「断定することの論理性の欠如」の観点からも言えることである。そう、本当に、哲学の極論は「何とでも言える」という表現が相応しく、ライプニッツの疑問においても同じことが言える、これが私の堂々たる見解である。
さて、「哲学は実社会で役に立たない」ということをよく耳にするが果たしてどうだろうか。少なくとも私はそうは思わない。哲学以上に身近で実践的な学問を私は知らない。そのことに気付けたのは、私の引きずりこまれた「ブラックホール」に「ホワイトホール」が存在していたからである。その「ホワイトホール」とは、自称「多進法的思考」を見出せたことである。例えば、ある物体を指差し「これはAではない」と言われたときに「Bだ」と思ってしまうのが「二進法的思考」、「BまたはCだ」と思うのが「三進法的思考」と言うことができる。つまり、これらの「少進法的思考」はその物体がDやEである可能性を捨象してしまっている。そう、これは前述した「見えていても存在するかどうかはわからない」というのと同じである。「多進法的思考」であれば様々な可能性を留意して迂闊に物体が何であるか決定しない。この「多進法的思考」とは、言語の内で極力断定を回避し、論理的精度向上させる思考法である。私はこのお陰で、何度も「ブラックホール」に入ることができるようになった。そして、現代社会で生きるうえでの「言語内思考」においても、大いに実践的に的確な論理性を持たせることが可能となった。哲学は、哲学を知らない人であっても知らず知らずに「哲学している」場合が多い。私そのうちの一人である。そしてそれは、ありとあらゆる学問の「入り口」で行われる。これは他の学問の基盤となっていると言っても大げさではないだろう。哲学の領域がどれほど広いか、それは「広さ」という言葉でははかりしれないほどのものである。私はこの「哲学の宇宙」で遊泳し続けていきたい

このブログの名前「Philosence」の由来について以前触れましたが、「物理学は真理の追究からかけ離れている」という衝撃ゆえの、私のささやかな野望(?)も込めたものでもあります。「真理を求めるサイエンスの実践」というのは広義の「科学哲学」とは異なる、それゆえの「Philosence」だとも言えるかもしれません…。

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Philosence-フィロセンス-
事理の究極を徹底探究

「全知」となることは、知覚・認識可能な対象においてすら、思索の媒体である「言語」自身が不完全であることから完遂しえないと言えるだろう。
学問で漸近を目指すべき「真理」は、まず、言語自身で構築される知識構造そのものが不完全であることに自覚的、反省的である必要があるのかもしれない。
どのような事象に対しても童心のように懐疑を抱き、理解はしても結論は決定づけない。そんな、窮理学をやってみたい。
もっと俯瞰的な学問形態を目指して、さあ、Philosence。


開設:2011年2月
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Rintaro Matsunobu 
りんたろう
Yokohama   Japan23歳
物理学専攻の大学出身
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